【保存版】ラテラリゼーション理論とは?|“左右差”が生む人間の身体構造と機能の本質

2025年07月31日

“左右差”が生む人間の身体構造と機能の本質


■ 第1章:なぜ“左右差”に注目するのか?

私たちの身体は、一見「左右対称」に見えても、内臓・筋肉・脳の働きにおいては非対称性(ラテラリティ)が前提となっています。

この「左右差」に着目する理論が、ラテラリゼーション(lateralization)理論です。

特に整体や運動療法の分野では、

  • 右利き・左利きといった使用頻度の差

  • 内臓の偏位(心臓は左寄り、肝臓は右)

  • 呼吸様式の左右差

  • 脳機能の偏在性(左脳=言語・論理、右脳=感情・空間)

などが、運動パターンや体の歪みに深く関与していると考えられています。


■ 第2章:ラテラリゼーションとは何か?〜定義と背景〜

● 定義

ラテラリゼーション(Lateralization)とは、人間の身体や脳の構造・機能において「左右で異なる役割や使われ方がある」ことを指します。

これは解剖学的な左右差だけでなく、運動・感覚・神経・認知など多層的な差異を含みます。

● 生物学的な背景

  • 脳梁による左右脳の役割分担(inter-hemispheric specialization)

  • 心臓、胃、肝臓、小腸などの臓器配置の左右非対称性

  • 右利き人口の偏在(約90%が右利き)

  • 呼吸時の横隔膜左右差(右横隔膜の方が厚く強い)

これらは「人間はそもそも左右非対称な構造と機能を持つ」という事実を示しています。


■ 第3章:ラテラリゼーションが運動連鎖に与える影響

身体の非対称性は、運動連鎖(kinetic chain)にも影響を及ぼします。

● 例1:歩行時の左右差

  • 支持脚(主に左脚)と遊脚(右脚)で骨盤の動きが異なる

  • 横隔膜・肝臓・回盲弁の構造により、右側体幹の安定性が高くなりやすい

● 例2:骨盤と胸郭の回旋パターン

  • 多くの人は「右回旋が得意で、左回旋が苦手」

  • これは脊柱と肋骨の配列、呼吸筋の使用頻度などが関係

● 例3:上肢の使い方の違い

  • 利き手側の肩甲骨は固定性が高くなり、非利き手側は可動性が増す傾向

  • テニス、ゴルフ、野球など、回旋動作に特化した競技では顕著


■ 第4章:ラテラリゼーションと自律神経・内臓の関係

● 内臓配列と重心の偏り

  • 肝臓の重み → 右骨盤後方回旋傾向

  • 心臓の位置 → 左胸郭の柔軟性低下

  • 回盲弁の偏位 → 右腰部〜骨盤に緊張

● 呼吸の左右差

  • 右横隔膜の厚みと支配神経(C3-5)によって、右肺の呼吸量が多くなる

  • 結果として、左胸郭が広がりづらく、左肩甲骨の可動性が制限される

● 自律神経の左右優位

  • 交感神経:右側優位

  • 副交感神経:左側優位

  • 交感神経緊張が高い人ほど右体幹の過活動が観察されるケースが多い


■ 第5章:ラテラリゼーション理論を活かした整体的アプローチ

浜田山CAZU整骨院では、ラテラリゼーションを以下のように活用しています:

● 1. 姿勢評価における左右差の分析

  • 骨盤の前後傾左右差

  • 肩甲骨の挙上・下制の左右差

  • 足関節の回内・回外差

● 2. 呼吸と骨格の連動評価

  • 腹式・胸式の優位性を左右で比較

  • 呼吸時の肋骨の膨らみ方(左右差)

  • 呼吸補助筋の左右使用率

● 3. 施術とリアライメント

  • 骨盤・胸郭・横隔膜・後頭部の左右テンションを整える

  • 片側優位性による過剰運動の部位を緩め、反対側の安定性を強化

  • 最終的に、左右の呼吸量や荷重バランスを均等化させる


■ 第6章:セルフケアとしてのラテラリティ調整

以下のようなアプローチを日常に取り入れることで、左右差による偏りを整えることが可能です:

  • 右足支持の片足立ち(骨盤後傾の補正)

  • 右肋骨のストレッチ(肝臓の収縮による胸郭制限解除)

  • 左横隔膜を意識した深呼吸(呼吸の左右均衡化)

  • 利き手とは逆の動作練習(非優位側の可動性・脳刺激)


■ まとめ:左右差を“矯正”ではなく“活用”する視点

ラテラリゼーション理論の本質は、「左右差は悪いもの」ではなく「人間の自然な特性」であること。

ただし、その偏りが過剰になり、機能を阻害している場合に調整が必要になります。

身体の“つながり”を理解することが整体の基本であるならば、
“左右の違い”を理解することは、その設計思想を知る鍵です。

ラテラリティを理解することは、姿勢評価、施術、パフォーマンスアップ、セルフケアのすべてに応用可能な“身体の教養”とも言えるのです。